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ごめんなさい、の文化について

TRUE CRIME JAPAN(真の犯罪) / PAUL MURPHY

お盆前に、アイルランドから来ていたポール・マーフィーが、事務所を訪ねて来ました。 いつの頃からか、裁判所松本支部で刑事事件をやっていると、毎回、西洋人が傍聴に来ており、ある時、事件の関係者なのかと声をかけてみると、日本の刑事裁判を取材している、とのことでした。何度か顔を合わせた時、取材をさせて欲しいとのことで、夜、松本のアイリッシュ・パブで会うことになりました。  その時、とても熱心だった印象で、後にニューヨークで本を出すんだ、と言っていました。当時、私の同僚だった弁護士も、彼のことを知っており、刑事手続のことを聞かれたと言っていました。

 日本は明治の頃より、欧米から法制度を輸入してきたので、欧米の方々にとって日本から学ぶことはないのかと思っていたのですが、この治安の良さは確かに目を見張るものがあるのかもしれません。裁判員制度も、陪審制とは異なる独自のものかもしれませんし、工業製品等だけではない、日本ならではの工夫があるのかもしれません。国内的にはいろいろな問題があるにしても、ポールは日本の状況を海外に紹介したかったようです。よかれあしかれ、日本に興味を持って戴いて、紹介して下さることはいいことだと思います。

 写真の部分は、被告人の謝罪についてお話した部分です。裁判官だけでなく、弁護人も検察官も傍聴人も、みんな、「ごめんなさい」という言葉を聞きたがっているんだ、と話すと、それは日本的な独特の文化だ、とのことでした。法的な問題の処理に裁判を行っているのだから、機械的な話であるのが当然だという考え方なのでしょうか。そうであるにもかかわらず、「ごめんなさい」という、ごく感情的な問題が入ることに、とても意外な感じがするのでしょうか。日本の弁護士をやっていると、裁判では気持ちの問題が非常に大きいのは当たり前と思いますし、弁護士がカウンセラー的な仕事であるという側面も大きいのが実情だと思っています。わるいことをしたら、「ごめんなさい」というのが当たり前ですし、裁判で確定するまであやまらないという発想に違和感を持つのは、そのような日本の文化にのっとっていないからであると思わざるを得ません。  昔、エレベーターのシンドラー社が死亡事故を起こしながら会社の責任がないかのような記者会見をして、バッシングを受けたことを思い出します。その後再び死亡事故が起こった際の記者会見はきちんとしたものでした。日本の文化を踏まえた商売をしようと、考え方を変えたようにも見えました。  企業や組織のレピュテイション(評判)を考える時には、ミスをミスとして認めるなど、その時の対処方法としてどのような対応が、日本の文化に即しているのか、またそれによって、どのようなプラスとマイナスが生じるのかを戦略的に見極めることが重要ではないかと思わざるを得ないエピソードでした。  中学・高校の頃、すでにお亡くなりになった英語の山崎先生(ヤマさん)が、「やっちまったことは仕方がない。その後どうするかが重要だ。」とよく言っていたことを思い出しました。 [if !supportLineBreakNewLine] [endif]


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