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7月の活動

7月28日

外国につながる子ども達の教育について

茨城弁護士会@つくば台風による大雨の中、参加者は少なかったのですが、宇都宮大学の若林先生などのお話をお聞きしました。ここでも、この問題についてなんとかしなければいけないという問題意識を感じていました。パネルディスカッションでは、茨城県弁護士会の伊藤しのぶ弁護士が司会をやってくださり、パネラーの先生方のご意見をお聞きしていきました。若林先生は先進的な取り組みをされているすごい先生のお一人です。

7月27日

栃木・那須雪崩事故弁護団結成記者会見・初回申し入れ

 大人が子どもを死なせてしまった事件であり、とても悔しく、情けない思いがします。目に入ってきた、「とちぎの子ども育成憲章」など、紙切れにすぎないものと思えてきました。思考停止をしてはいけない、もっときちんと、子ども達の安全のことを考えなければいけないと思います。多忙な先生たちの中で、登山初心者の先生を行かせたりして、わざわざ学校が危険を引き受けて山に登らせる必要がどこにあるのだと、何度も雪崩事故を起こしてきたことの反省が活かされていないことに愕然とします。

7月25日

深志神社例大祭

 厳粛な気持ちになりました。

7月22~23日

日弁連シンポジウム実行委員会・熱海合宿

 報告書を検討しました。教育班は、外国につながる子ども達に関する人権規定→母語教育→就学保障等を論じています。各地の視察の成果を盛り込み、日本の現状を踏まえた提言となればと思います。

 弁護士の活動としては、このような報告書や10月4日のシンポジウム本番も重要ですが、それ以上に、実際にこの国や地域の、外国につながる子ども達の日本語教育環境が整備されるようにすることが重要です。どのような方法をとればよいのか、さらに考えていきたいと思います。

 外国につながる子ども達の日本語教育のことをやっていると、この問題意識を東京の大川弁護士に、車中でポロッと話をした時のことを思い出します。5年ほど前、外国人事件で在留特別許可が取れたお祝いをしにいった際に、「松本の外国につながる子ども達が教育現場で放置されている、これはとんでもない問題ではないか」と話していたら、その足で行った佐久市の人権課で、まさにそのことが地域の大問題になっていると課長さんが話され、これは松本だけの問題ではない、もしかしたら全国的な大問題なのではないか、と思い、その後大川弁護士が東京の師岡弁護士と殷弁護士をご紹介して下さり、「出井さん、この問題を4人でやっていこう!」と、東京・霞が関の弁護士会館の地下でめしを食いながら話していました。…というか、すでにこの問題についてそのお二人は、すでに問題意識を持っておられた弁護士だったのですが…。それから細々と視察に行ったり、どうしていいかわらなかったのでとりあえずいろんな本をあさり、関係しそうな学会や集会に参加し、NPOやいろんな人に出会い、いろんな事態を勉強させていただき、いつの間にか関心を持って下さる弁護士も多くなり、まずは関弁連が動いてくれたり、日弁連も関心を持ってくれて、地方の弁護士会がシンポジウムをやって下さり、いろんな教諭・教授の方々と出合い、スウェーデンやドイツ視察にも行き……話がどんどん大きくなっていきました。おかしいと思うことは、まずは素直に誰かに言ってみるもんだな、と思いました(笑)。

帰りに地元のお菓子を買ってきました。

7月19日

介護業界の危機管理研修@松本大学

 台風や水害、土砂崩れなどをテーマにした研修をしました。最近は日本も熱帯化し、台風も大型化しており、風害・水害が発生しやすくなっている、その際にどのような対応をとっておけばいいのか、という研修を行いました。

 意外なところに盲点があるということが、便利な生活を普段当たり前と思って生活していると、気づかないものです。想像力を働かせて、広域災害が発生したときにどうしたらいいのか、一人一人が考えておきたいものです。

7月18日

私の母校・桐朋高校の生徒さんが農業体験で小林農園に来ました。

 夜10時頃、仕事が終わり、大町の黒部ビューホテルにすっとんでいくと、担任だった香川先生、テニス部の下和田先生にお会いすることができました。30年ぶりで、感激しました。「小説を読んでいき、そこまでの感想を生徒に発言させていくという香川先生の国語の授業が、一番難しかったです。」という話をすると、「私も若かったのでやりすぎた。」とおっしゃっておられました(笑)。下和田先生は、まだまだテニスも現役でやっておられるとのこと。スケートの体重移動が基本だと下和田先生が言うので、後輩の山口君と3人で、夜、コンビニの駐車場で、スケートをすべるような練習をしていたことを思い出しました。

7月15日

多文化共生教育研究会@品川駅前

 丸山弁護士のご報告、ME-NETの高橋先生などのご報告、角田先生のご報告など、なんだか闘っている教員の方々の熱気にあふれたご報告に圧倒されました。東京女子大学名誉教授の佐久間孝正先生も来られていました。

 ドイツで一緒だった、通訳をやっていただいた近藤さんも参加されており、思いがけない再会がありました。インテグレーション(統合政策)はもはや必須なのに、後手後手に回る対応…私達はどうしたらいいのだろう…その間に、日本語が満足にできない子ども達は、日本で満足な教育も受けられないまま、どんどん大人になってしまう・・・そんなもどかしい気持ちを、会場の多方面のみなさんが持っている、そんな会でした。

7月14日

技能実習生弁連@代々木・オリンピック記念青少年総合センター国際交流棟国際会議室

 技能実習生に関するシンポジウムでした。移住連の鳥井さんなどが来られて、問題性を話してくださいました。ヒューマンライツウォッチの伊藤弁護士は、ユニクロやH&Mに、下請け企業の繊維業界で過酷な目に遭っている労働者の待遇改善を求めた方ですが、やるとなったら徹底的に闘う姿勢に共感を覚えました。名刺交換をしていただき、今日のお話は感動しました、とお伝えしました。

 弁護士の参加者は割と顔見知りの方々が多かったのですが、皆さん、普段は明るい方々なのですが、一生懸命闘っているなあという印象でした。

7月11日

阿部守一長野県知事との懇談会@安曇野・きぼう

 教育に関して、阿部知事との懇談会に参加しました。教員の目が死んでいる、とか、うちの夫は教員で、やはり夫の目は死んでいる、など、若干の笑いが起きる場面もありましたが、真剣なお話でした。学校の保護者側だけではなく、教員側も来ておられて、「どんなことがあっても生徒の前では笑顔でいようと思っている」とおっしゃっていた若い教諭がおられました。「教員である夫は、自分の子どものことよりも、他人の子どものことの方が一生懸命だ。」とか、本当に現場が大変な状況にあることを知事にお話して下さっていました。県政の課題でもあるし、大人がなんとかしなければならないテーマです。阿部知事にも、このような保護者側・教員側のリクエストに対して、より一層ご活躍いただきたいと思いました。

7月6日

豊科南小学校開校50周年記念式典

 平成25年度のPTA会長を務めたということで、案内状を戴きました。それから5年経って、なんだか懐かしくも感じました。当時顔見知りだった先生もおられたり、保護者の中にも知り合いがいたり…ちょっとした同窓会のような感じもしました。

前にいたお子さんが数名、ヘッドホンをつけていました。聴覚過敏のお子さんらしく、先生がつきっきりでした。いろんなお子さんがおられるのはむしろ当然で、どんな障害を持っていてもインクルーシブでできたらいいし、普通の個性だよと、この子達の時代には障害も普通に認め合って、助けたり、差別したりせず、普通に暮らすことのできる時代になればいいなあと思ったりしていました。

式典は滞りなく行われ、昔のこの学校のことを調べて発表した子ども達の催しも面白く、一瞬でも、私達が直面している教育崩壊の現実を忘れることができました。そして、学校は子ども達にとって、永遠に楽しいところであって欲しい、と思いました。

7月5日

講演「セクハラ・パワハラって何?組織内のハラスメント」@本郷公民館

 松本市の講演会で、パワハラなどをお話しました。昔は当たり前だったようなものが問題となっています。最近はアメフトのケース等、悪質なものも生じています。時代は進化している、ということを意識し、今現在がどのような対応をしないといけない時代なのか、ということを考えないと大問題になるよ、というお話だったのですが…なかなかご高齢の方々に説得的にお話するには難しかったようです。力不足ですみません。

7月3日

秋田県・のしろ日本語学習会 視察

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 北川先生ご夫妻はお変わりなく、さらにパワーアップしている感じがしました。何をやるにも、冷えた魂ではいけないのだなあと思っていました。

 前に来たときに、ちょうど当日、高校入試を終えたばかりの中学3年生のお子さんに会いました。その方は、中国残留孤児の3世の方で、おじいさんを北川先生が通訳として迎えたそうです。おじいさんが亡くなった時の葬儀で、北川先生がご挨拶をし、はじめて自分のルーツが日本にも中国にもあることを知ったそうです。どうして自分は日本語が上手にできないのか悩み、日本語ができなかったことで自閉症と言われて特別支援学級に通い、普通学級に入ってからもいじめに遭ったりしていましたが、自分のルーツが2か国にあるということを知って、それを誇りに思う、とまで言っておられたとのこと。そして、一生懸命勉強して、地域で難関の高校を目指していました。なんだかそのお子さんが立派過ぎて、思い出す度に涙が出ていました。

 今回、たまたま、そのお子さんと再会しました。無事志望校の高校に入り、さらにのしろ日本語教室に通い、一生懸命勉強をしていました。そのことを地元の北羽新報の記者さんに一生懸命お話しているうち、涙が出てきて、途中話せなくなってしまったくらい、一生懸命お話したのですが…そのエピソードは結局、紹介されませんでした(涙)。弁護士が14名も来た、ということが結局記事になり、私のコメントも紹介されていましたが、ポロッと言ったことが取り上げられていました。

 北川先生のHPからです。

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北川先生は明るく楽しく温かい方です。しかし、外国人と共に生活をしていくのだという点について、迫力を感じる方です。


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